他責思考からの脱却

他責思考でいると起こること

”別に自分がしなくても他の人がしてくれるだろうからいいだろう”という他責思考。 自分が責任を持っていないことで一時的には楽に感じるかもしれませんが、巡り巡って自分の元へ返ってきます。 それも、最初に気づいたときの何倍にもなって自分の元へ返ってきてしまいます。

他責思考の及ぼす被害は広い

以前、ランチタイムのカフェで、隣の席に座った二人の女性の会話が聞こえてきました。 どうやら一人は職場の愚痴を言い、もう一人はそれを聞いているようでした。 職場での出来事をつらつらと「〜〜でさ?!それでその後にね?!」と声を荒げながら話していて、なんだか苦しそう。 それを聞いている人は、最初は共感するよう表情で聞いていたものの、途中から首をかしげながら眉を寄せて唸っていました。 そして「それって自分でやればよかったんじゃないかなあ…」とぽつり。 そうすると愚痴を言っていた人は、「え、うそまじ?絶対嫌なんだけど」と言って、そのあと不機嫌そうにしていました。 空気が一気に悪くなっていく様子が隣にも伝わってきました。 話の聞き方や、この愚痴の内容などはさておき、自分のことを棚に上げて人の悪いところばかりを言っている人の話は、問題解決に向かっていかないのでしんどいだけなように感じてしまいます。 そしてこのように他責思考でいることで、自分も含めてその周辺の人がみんな苦しくなってしまうのだと思いました。

自責思考を意識し出してからの変化

先ほど他責思考の方に遭遇した話を例に挙げておきながら、私自身、元々とても他責思考の持ち主でした。 その場で気がつけず相手や周りに迷惑をかけてしまうことや、巡り巡って自分がしんどい思いをしてしまったということが、自分で気づけている以上にたくさんあるのだと思います。 そんな私が自責思考を持ちたいと意識してからは、自分と他人との境界線をはっきり持てるようになったと感じています。 これは、他責思考は自分の課題を相手の課題にしてしまうことなのだと気づいたからです。

私が思う”自責思考”について

これまで曖昧に引いていた自分と他人との境界線がはっきりと見えるようになってみると、自分の課題はどこにあるのかと考えるようになりました。 この、自分の課題と相手の課題とを見極め、相手の課題に対し自分はどうする?と考えることが自責思考なのだと思います。 結果として人として成長していけるのは、自責思考を持った人なのだと感じると、全ての事柄から自分が何を吸収できるかと思考しないと勿体無いと思うようになりました。

あとがき

本日のブログは、自責思考にしたいのに他責思考になりがちな自分へ向けて書いてみました。 他責思考でいると、自分も相手も得せずに、問題解決が遠のくことが多いでしょう。 そうは言っても人間は、誰かのせいにして自分の心を守りたがる生き物なのだと思います。 そのうえで、「言い訳しているがこれも自分で決めているのだ。」と自分で感じるところから、自責思考が始まっているのだと思うのです。 自分の人生は、人に決めてもらうものではありません。 自分の人生をどう生きるかは、自分次第なのだと感じます。

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