べき思考になりがちな私

べき思考

私はどうやら、べき思考になりがちなようです。 べき思考とは、「〜するべきだ」「〜しないべきだ」と考えることを指します。 これに気がつけたのは、話している時に「〜するべきって結構言ってるね」と、あちこちで言ってもらうことが急激に増えたからなんですよね。 『口癖って自分では面白いぐらいに気がつけないもんなんだなあ〜』と感じたので、指摘してくれる人がいることは私にとってとてもありがたいです。 『こんなに頻繁に、いろんなところで、いろんな人から言われるってことは、想像以上に”べき”を口癖にしているな…?』と思ったので、意識してみたいと感じます。

べき思考だとどうしてダメなの?

このまま私が”べき思考”でいると、どうなっていくのかを考えてみました。 今の私は、「〜するべきだ」と考えていることによって、それができなかったときに自分のことを大きく責めてしまいます。 「〜するべきだ」と思ったり言ったりするのは大抵、じぶんはどうしたいか<他人からどう思われるかとなっている時が多いかもと感じます。 それも、無意識に。この無意識ってところが怖いなあと感じます。 また、「〜しないべきだ」という考えでいると、それをやっている人を見たときにその人のことを責めてしまいそうですね。 実際に家族などの近しい人たちには「それって絶対こっちの方がいいのに!」なんて当たってしまうことも…。 この”べき思考”は、思考の幅を狭くしてしまうのかもしれません。 自分を小さな箱に入れて、身動き取れなくしてしまっているようなイメージです。 この閉じ込めているのは自分自身なので、自分が助けないといつまでも箱の中にいることになってしまうかも。

どうすれば”べき思考”がやめられるのだろう?

ではこの”べき思考”の箱の中から自分を出してあげるには、どうしたらいいのでしょうか? まず周りに言ってもらって、自分で気がつけたというのが第一歩な気がします。 気がつけるとこまで来れた今は、自分がどんな時に「〜するべき」と思ったり言ったりしているのか意識していくことができていますね。 ここまで来れたらあとは思考を変換していくという練習をしていくといいかもと思っています。 「〜するべき」と思っている自分を感じたら、「〜するのもよし」と考えてみる。 「〜しないべき」と言ってしまった自分がいたら、「と私は思うけど、するかしないかはそれぞれが決めていいよね」と付け加えてみる。 これだとなんだかだいぶ、柔らかくて広い思考な気がします。 これでガチガチにテープ貼ってた箱から脱出できるといいなあ。

あとがき

自分で自分のことを知らぬ間に閉じ込めていたんだなあと思うと、なかなかすぐには変われないのですが、べき思考をやめるべきになっていかないように焦らずやっていこうと思います。 べき思考なことを責めすぎるとこの考えになりかねないので、”べき思考”は、周りをよくみれて些細なことにも気がつけるという長所でもあると思うようにしています。 少しずつ、今の自分より良くなっていけたらよし!

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