第一話おさらい
10代前半から緊張しやすい性格な自分を変えなくてはいけないと感じ、自分がどう見られているのか他人の目がとても気になっていた私。
しかし短大生活では、自分のありのままを受け止めてくれる仲間の存在に助けられ、自分らしくて良いんだと感じていました。
そんな幸せな短大生活を終え、晴れて夢だった保育士になることができた私ですが、この時は想像もしていなかったことが起こっていきます。
社交不安症となり、抗うつ薬を飲むことになる話
社会人となり、自分のことがどんどん嫌いになっていった
学生時代の気楽な環境とは打って変わり、社会人となると一つひとつの行動に責任が伴いますよね。
保育士は小さな命を預かり、その子がその子らしく生きていけるように支えていくお仕事です。
自分の言動が、目の前の子どもの命や人生に大きく関わっていくのです。
そんな緊張を感じる日々の中で、ホームシックのような寂しさを感じていました。
友達と予定を合わせて飲みに出かけると、その時間は楽しく過ごせるのですが、一人帰宅するとなんだかより寂しさが増しているような感覚がありました。
『これまでの私は、人に認めてもらうことに喜びを感じて、満たされたつもりになっていたんだ…』と、ここで初めて気がつきます。
これまで周りから認めてもらうことでしか自分を認められず、自分のことを自分で満たすことができなくなっていたのです。
『あれ。じゃあ私の好きなことってなんだろう?』と、考えてみてもパッと浮かばず答えが出てこないのです。
自分の好きなことが分からないまま、生活はどんどん荒れていきました。
仕事以外の時間は疲れていても夜中までSNSに入り浸っていて寝不足。休日は昼まで寝て過ごし、お菓子ばかり食べている。
そんな不摂生な生活を送るようになっていったのです。
『イライラする。不安。なんだかとてつもなく寂しい…。』
そう感じながらSNSを見て、自分の怠惰な生活と友人たちの充実している生活を比べて落ち込むこともありました。
仕事中は、同期が先輩から褒められると自分と比べて落ち込むことが多かったです。
でも何がダメなのか具体的には分からず、自信がないくせに人からよく思われたいというプライドが捨てられない自分がいて、そんな自分が嫌いでした。
だんだんと夜眠れなくなっていき、お菓子やお酒を暴飲暴食する日が増えていきました。
そして就職して半年で休職することになってしまいました。
この時に診断書に書かれたのは、”適応障害”と”抗うつ状態”でした。
この時、抗うつ薬を医者には勧められたのですが、薬を飲むことへの不安が大きいことを相談していました。
そして、週に一度のカウンセリングと、睡眠導入剤で、抗うつ薬を飲まずに療養することになりました。
この頃から、”息苦しさ”に悩む
仕事をしていた時は夜中まで眠れないことにも悩んでいましたが、睡眠導入剤を飲むことでぐっすり眠れるようになりました。
この頃一番悩んでいた症状は、”息苦しさ”でした。
例えるなら、1cmほどの少しの隙間がある水槽に入りその隙間から呼吸しているような、そんな息苦しさを感じていました。
大きく息を吸いこみたいのに吸えず、脳が酸欠状態となるために生あくびが出るのですが、そのあくびもうまく息が吸えない為にあっぷあっぷしてしまうのです。
楽しいことや夢中になれることをしている時にはこの息苦しさも忘れているのですが、緊張した時や不安になった時、人に「息苦しいんだよね」と話している時には決まって息苦しくなっていました。
時には眩暈がするほど苦しくなりその場に立っていられなくなってしまうほどでした。
ですが休職していく中で、少しずつ大きく息を吸えることが増えていきました。
たまに深呼吸ができた時には、『大きく息を吸い込めることって、なんて幸せなのだろう!!生きてるって感じする!!』と、大喜びしていました。
休職期間を終えて、再出発
休職期間中は生活リズムを整え、家族や友人に話を聞いてもらうことで元気を取り戻していきました。
そして、自分が何をしている時に幸せなのかもわかるようになっていき、自分で自分を満たして過ごすコツが少しずつ分かっていきました。
2ヶ月の休職期間が終わると、そのまま転職することに。
実は休職となる少し前から、短大の恩師に相談をし、転職活動を進めていたのです。
恩師から紹介してもらった新しい職場は、こじんまりとした小さな保育室で、家族のような温かさのある場所でした。
新しい職場では、子どもにも保護者にも保育士にも、そして自分自身にも、”寄り添って思いやるために、どうしたらいいか”ということを学ばせてもらいました。
”自分もありのままで良い。子どもも大人も、みんながありのままでいい。”ということをモットーに保育している場所だったのです。
そんな場所で子どもと関わりながら、自分自身と向き合うことや人との関わり方などを学んで過ごしていくことができました。
そして転職して半年ほどで週に一度通っていたカウンセリングを卒業し、睡眠薬がなくても眠れるようになっていきました。
社会人4年目の時、ただのあがり症ではないかもと感じる
あっという間に季節が巡っていき、早くも社会人となって4年目となっていました。
順調に過ごせていると感じていたのですが、ここでふと、”ある症状”に気が付きます。
会議で発言をしたり、人に自分の意見を言葉にするときに、過剰に緊張してしまうのです。
それまでは、人前に立つときなどの緊張すると分かっているような場面でその緊張がやってきたのですが、”ちょっとしたことなのに緊張してしまう”ということが増えていたのです。
そのことに気がついたのは冬の時期だったので、『寒いから震えてるんだろうな』と思い、カイロをお腹と背中に貼って出勤するようになりました。
しかしあまり効果はなく、暖房の効いた部屋で一人ダウンを着てカイロも貼っているのに、それでも震えが止まらないということが頻繁に起こるようになっていきました。
話している間震えが止まらなくなるという症状だけでなく、息苦しくて話し続けていると息切れしてしまうことも増えていきました。
さらには、みんなでお茶しながら雑談をしている時には全く問題なく話せていたのに、「じゃあそろそろ会議にしましょう〜」と上司が言ったその瞬間からいきなり手足の震えが出始め息苦しくなる、ということもありました。
『あがり症にしては異常なのかもしれないな』と感じつつも、子どもたちの前で話すときや、保護者に子どもの様子を伝える時にはこれらの症状が出なかったため、『自分の考えすぎだろうな。そのうち良くなるだろう。』と、通院することは先延ばしにしていました。
過去の自分を乗り越えるために、薬を飲むことを決意
それから役1年が経ち、保育士5年目の秋。
母校の文化祭へ行き、転職先を紹介してくれた恩師と再会しました。
そこでこれまで自分の体験した保育中のエピソードや、自分なりの保育士としての在り方などを話していると、「その話、ぜひ講義の中で学生たちにも話してほしい!」と頼まれたのです。
私は思わず『私なんかにそんな大役は務まらない…』と思い、断る姿勢になっていました。
しかしその時、私の頭の中で、”学生時代の私”がこう話しかけてきました。
『今のあなたなら、私の失敗を活かせるよ。たくさん失敗してその度立ち上がってきたんだから、そんなあなただからこそ伝えられることがあるでしょ。』
そして、この恩師からの提案を引き受けることにしたのです。
しかし、”ちょっとした場面での過剰な緊張”は続いていたことが心配でした。
そして、『学生たちに伝えたいことが伝わるように、前に立つ時には震えを抑えられる薬を飲もう。』と思いたち、精神科への受診を決めたのです。
ついに判明、”社交不安症”という病気だった
休職した時には助けを求めて駆け込むように行った精神科でしたが、この時は『自分の中で良い方向に進むために必要なこと』と前向きに考えて向かいました。
そしてここで初めて、自分が”社交不安症”いう病気だったということを知りました。
簡単にいうと、”極度のあがり症”なのだそうです。
では全く緊張しないようになることが完治なのか、というとそうではないらしく、”少し緊張しやすい”という状態を目指していくと良いとのことでした。
なので、
抗うつ薬体験記[第一話]の序盤に出てくる、”10代前半頃の私”を目標にしていくことにしました。
処方された薬
そうして処方された”抗うつ薬”。
この時処方された薬は、
この2種類でした。
「パロキセチンは、継続して飲む薬です。飲み続けると徐々に血中濃度が上がっていき、セロトニンを増やして自律神経を整えるお薬です。これを飲むことによって、感情の起伏が穏やかになり、緊張や不安が抑えられますよ。」
「アルプラゾラムは、緊張する前に飲む薬です。不安に感じたときに飲むと落ち着いていきますよ。」
そう医者に説明を受け、正直ゾッとしたことを覚えています。
なんだか、薬によって自分が変わっていくことや、悪いところを抑えるということに、違和感を感じました。
怖い…と感じながらも、病院に来た目的は”薬をもらい大学での講義を無事に終えること”だと思い出し、服用することを決意。
こうして、”抗うつ薬生活”が始まったのです。
第二話まとめ・次回予告
承認欲求で自己肯定感を高めていた私は、社会人となってから自分で自分を満たせずに、抗うつ状態となり休職に。
再就職し、自分に合った環境に恵まれるも、自分が過度に緊張してしまうことに悩みます。
その後、学生たちに講義をするという話をもらったことをきっかけに、緊張を抑えられる薬があるならと思いたち精神科を受診することを決意。
そこで、”社交不安症”と診断され、はじめての”抗うつ薬”を服用することになったのです。
次回、想像以上の薬の副反応に苦しみつつも、薬で息苦しさや震えがおさまって快適ライフを送れるようになっていく私は、どうなっていくのか?
果たして大学での講義は、うまくいくのか?
つづく
コメント
コメントを投稿